最高裁判所第一小法廷 昭和41年(あ)2746号 決定 1969年1月23日
主文
本件上告を棄却する。
理由
被告人大木操の弁護人斎藤悠輔の上告趣意冒頭部分は、事実誤認、単なる法令違反、量刑不当の主張であり、同第一点は、判例違反をいうが、所論引用の大審院判例は、事案を異にし本件に適切でなく、その余は、単なる法令違反の主張であり、同第二点は、単なる法令違反、事実誤認の主張であり、同第三点は、事実誤認、単なる法令違反の主張であり、同第四点は、単なる法令違反、事実誤認の主張であり、同第五点は、単なる法令違反、量刑不当の主張であつて、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。
同被告人の弁護人藤田八郎の上告趣意は、判例違反をいうが、所論引用の大審院判例は、事案を異にし本件に適切でなく、その余は、憲法三一条違反をいうけれども、実質は単なる法令違反の主張に帰するものであつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。
同被告人の弁護人大月和男の上告趣意第一は、事実誤認、単なる法令違反の主張であり、同第二は、事実誤認、単なる法令違反の主張であり、同第三は、判例違反をいうが、所論引用の大審院判例は、事案を異にし本件に適切でなく、同第四は、事実誤認、量刑不当の主張であつて、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。
被告人大木操本人の上告趣意第一点は、判例違反をいうが、地方裁判所の判例を引用して判例違反を主張することは認められておらず、ほかに最高裁判所の各判例違反をいう点もあるが、所論は原判決の認定しない事実を前提とするものであり、同第二点は、判例違反をいうが、所論引用の高松高等裁判所の判例は、事案を異にし本件に適切でなく、その余は、単なる法令違反の主張であり(選挙運動を総括主宰した者が、選挙運動をしたことに対する報酬として金銭の供与を受けた場合には、たといその時期が選挙の終了後であつても、公職選挙法二二一条三項の適用があるものと解するのが相当であるから、これと趣旨を同じくする原判断は正当であり、本件被告人大木の第一審判決判示第七の所為につき右条項を適用した原判決に違法はない)、同第三点は、憲法三一条違反をいう点もあるが、実質はすべて単なる法令違反、事実誤認の主張であり、同第四点は、判例違反をいうが、所論引用の各大審院判例は、いずれも事案を異にし本件に適切でなく、その余は事実誤認の主張であり、同第五点は、単なる法令違反、事実誤認の主張であり、同第六点は、量刑不当の主張であつて、すべて刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。
被告人川合正勝の弁護人中村信敏、同小川信雄、同系正敏の上告趣意第一点は、事実誤認、単なる法令違反の主張であり、同第二点は、量刑不当の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。
被告人川合正勝の弁護人石坂修一の上告趣意書は、期限後提出にかかる不適法のものであるから、判断を加えない。
よつて、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。(大隅健一郎 入江俊郎 松田二郎 岩田誠)
被告人の上告趣意
第二点 判例違反及び法令違反の主張(総括主宰者の身分の終期について)
原判決は、原一審判決第七につき、上告人に対して公職選挙法二一一条三項を適用している。総括主宰者の意義認定については第一点主張において詳論したところであるが、ここではその身分の終期について原判決が明示せず、判例に違反し法令の解釈適用を誤つた違法あることを主張するのである。
原判決は「本件四〇〇万円の授受は原(一審)判示のごとく昭和三四年六月二日頃、及びその数日後であつて、六月二日施行の選挙後であるから、その時には選挙運動の総括主宰者なるものは、なくなつているとしても、その選挙終了前の選挙運動者に対しその選挙運動をしたことの報酬として利益を供与した場合には、総括主宰者が供与罪を犯したものとしての法律効果を生ずる趣旨に徴し云々」と判示し、昭和一三年三月七日大審院判例を引用している。
原判決は本件金員の授受が六月二日頃及び数日後であり、六月一日午後十二時を以て選挙運動はすべて終了したのであるから、総括主宰者の身分はなくなつているものと一応判示しているのであるが、前記大審院判例を引用したことにより、その身分の終期が不明に陥つているのである。
右大審院判例をみるに、その要旨は「選挙後においても選挙事務長(又は総括主宰者)の存するがごとく説示したのは失当であるが、選挙終了後事務長であつた者、又は総括主宰者であつた者が、選挙終了前の運動者に運動報酬を供与した場合には、当時の衆議院議員選挙法一三六条(現行公職選挙法二二一条三項)に該当する」という趣旨である。この趣旨に従えば、かつて総括主宰者であつた者は自身の行為及びその相手方如何によつては、一旦身分は消滅したのではあるが、再び総括主宰者として法条の適用を受けるということになり、選挙終了後と雖もある期間その身分が存続するという不安なる状態に置かれる結果になるのであつて、その法律効果の及ぶ時期も一定せず、右判例は不合理であるといわざるを得ない。
右判例は総括主宰者であつた者の選挙終了後の供与の場合を判定したものであるが、本件金員授受につき上告人の立場は受供与者であり、その金員授受の趣旨も当時当事者間で作成されたメモの趣旨に従い、選挙終了後の後始末でいわゆる終戦処理費用であるから(詳細は第三点、第四点主張にて後述)直ちに右判例により法律効果が及ぶものとする原判決は適切ならざる判例の引用を敢てし法令適用を誤つたものと主張するのである。
従来総括主宰者の身分の始期及終期については、公職の候補者、出納責任者のごとく一定の手続の定めある場合と異なり、判例上見解が統一されていない。それは事実上の認定に基くからであつて、始期については暫らく措き、終期についての判例は僅かに昭和三六年二月一七日高松高裁判例を見出すのみである。即ち同判例には「選挙運動の期間を定めている公職選挙法一二九条の趣旨等に鑑みれば同法二二一条三項の選挙運動を総括主宰した者とは、同法一二九条に定められた選挙運動期間中にその選挙運動を総括主宰した者の謂である」と判示しており、これによれば総括主宰者との認定をうけている身分の始期及び終期は極めて明確に判示されているのである。
選挙終了后公職選挙法に違反する行為があつた場合には、その時点において、その行為を同法二二一条一項並びに二二二条以下の罰則により処断すれば事足りるのであつて、殊更に総括主宰者の身分がかつてあつたという事実を選挙期間中にまで遡及してその身分を認定し、さらに連座制、科刑加重等に直ちに影響のある同法二二一条三項を適用することは不合理であるのみならず、その身分の終期がいつまで続くのか不明であるというに至つては、前記引用の大審院判例は不条理であるといわざるを得ない。
要するに原判決は本件金員授受行為が選挙終了后であることを確認し、上告人の総括主宰者たる身分の消滅した后、即ち同年六月二日頃及び数日后と判示しているのに拘らず、前記大審院判例を引用して判例の趣旨によるものとする法律的効果を遡及せしめたという不合理を敢てしたことになつているばかりか、前記昭和三六年二月一七日高松高裁判例の明確な判示に背反するものであつて、公職選挙法二二一条三項の解釈適用を誤つた違法あることに帰するのである。
よつて上告人は以上の理由により、原判決は前記高松高裁の判例に違反し、法令の適用を誤り、判決に重大な影響を及ぼすものであることを主張する。<後略>